卍ブロ

卍師範こと笹谷敏明の日記です

正解はない

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大学最後の試合後に撮った父との写真

前にも書きましたけど

写真の父は育ての親で産みの父はまた別にいます

産みの父は僕が8歳のときに死別してます

その少しあとに母が再婚して

札幌へ引っ越して写真の父に勧められて

11歳の後半から柔道を始めることになりました

 

当時、肥満児だった僕にはただただ運動が辛くて

どうしてこんな目にあってるんだろう?って

いつも辞めることばかり考えてました(笑)

 

けど、少しずつ身体に変化が現れて

今思えば、生まれて初めて成長を実感できたわけです

頑張れば自分を変えられるって生まれて初めて実感できたわけです

そこから柔道にのめり込んでいきました

 

めちゃくちゃな家庭環境で

7つも小学校を転校して学習障害だったし

学校の先生達からも問題児扱いされてたし

たしかに問題児だったし

だから、余計に柔道へのめり込みました

 

ただただ好きでやっているのは今も同じ

柔道をしてる時間とそれ以外の時間とで住み分けと言うか

別の時間を生きるみたいに過ごしてます

ずっとパラレルであっちとこっちに世界を持ってきました

 

 

唯一、パラレルではなくなった時期が高校時代でした

生活のすべてが柔道になる感覚っていうか

それは今もそうじゃんってかもだけど少し違うんです

試合の成績の良し悪しで生活が一変しちゃう感じっていうか

とにかく自覚は無かったけど壊れる寸前まで追い込まれました

んで、高校を転校しました

んで、“一応、柔道部がある”って大学へ入学して

また、パラレルで柔道を楽しめるようになりました

 

実は高校を転校したのは、父が勝手に決めてきたことで

その話を持ちかけられたときは、随分と抵抗しました

まだできる。師匠を信じたい。田舎に行きたくない。

いろんな理由で抵抗したけど

どこか壊れかけてる自分も自覚してたのかもしれません

 

“金鷲旗に出よう”“引退したら帯広で一人暮らししていいよ”

って転校先の先生から言われて

最後はよろこんで転校しました

まあ、金鷲旗も一人暮らしも実現しなかったけど(笑)

 

今でもあの転校って正解だったのかな?って考えることがあります

転校してなかったらどうだったんだろうって考えることがあります

今は今が楽しいからあのときも含めて全部いいって思ってます

でも、あれが正解だったと考えるにはまだ少し違和感があります

 

人間万事塞翁が馬っていうか

コインの裏表みたい

どっちも自分にとって必要な時間で経験だったわけで

結局はなるようにしかならなくて

なるべくしてなっての今なんだなって

 

岩手の野球のニュースを見て

ぼんやり考えてました

 

昨日は勤務で岩見沢へ泊まりました

今日も岩見沢に泊まります

明日は朝から札幌光星高校へ出稽古におじゃまして

あさっては終業後に大学で稽古

水曜と金曜は中央体育館で稽古して

来週の土日は4年ぶりの出張指導@稚内

ぼちぼち9月の学会発表の練習もしなきゃだし

 

ってわけで、今日もほんのり頑張ります(・∀・)ノ

 

【7月27日朝の体重:77.6kg(前日-0.4kg)/[標準体重78kg]-0.4kg】
【2019年乱取総時間数《89回》6180分/立技:2145分、寝技:4035分】